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       ‘ネット縁’を考える      
                    
(2011年2月下旬


 硬派のドキュメンタリー番組として知られる「NHKスペシャル」。その220日放送分「ネットが革命を起こした〜アラブ・若者たちの攻防〜」を見終わって、同じ局の同じ番組なのに、この前にみたのとは制作意図がまるで違っているな、と感じた。211日に放送された「無縁社会〜新たなつながりを求めて〜」の印象が鮮明に残っていたからだろう(放送の概要は、NHK ONLINEの「これまでの放送」参照)。
 順を追って述べよう。
 NHKスペシャルが‘無縁社会’を初めて取り上げたのは昨年1月末だった。近年、誰にも知られず、引き取り手もないまま死亡する人が増えている。自治体によって火葬・埋葬された人の数は、2008年だけで32千人に上った。この‘無縁死’の背景を探ると、日本社会から人々を結びつける絆が急速に失われてきた実態が浮き彫りになる。かつて日本の社会を紡いできた「地縁」「血縁」ばかりか、終身雇用制の崩壊で「社縁」までもが失われ、今では多くの人たちが地域、家族・親類、会社とのつながりを失った孤独な環境に身を置くようになっているのだ。こうした認識のもとに使われた無縁社会という衝撃的な言葉が、みるみる国民の間に広く流布して「2010年新語・流行語大賞」のトップテン入りを果たすにいたったことは、いまだ記憶に新しい。
 ところで、無縁化の波は高齢者だけでなく低年齢層にも激しく襲いかかっており、今や日本列島に無縁社会が広がる深刻な状態になっている。そのさなかにあって、若い世代を中心に無縁化した人たちの間で今、注目すべき動きが出てきている。インターネットを通じた新たなつながり、いわば‘ネット縁’の形成がそれだ。社会に居場所を失った人々が再び社会とつながるためにおこなっているそうした試みの検証を通じて、無縁社会を乗り越えるための道筋を模索したい。――この2月の「無縁社会〜新たなつながりを求めて〜」では、このような趣旨説明がされていたし、私もきっとネット縁に積極的な評価が与えられるのだろうと予想して当日のNHKスペシャルにチャンネルを合わせた。しかし、番組の進行とともに私の中で膨らんだのは、何かはぐらかされたようで釈然としない気分だった。
 システムエンジニアだが病気休職中で一人暮らしをしている30代の男性が、自室内の様子を連日休みなくインターネット中継(ニコニコ生放送)で公開し続けている。それを視聴している人の声がPCを通して再生され、部屋に流れる。父親の介護にあたるために仕事をやめたアラフォーの独身女性も、インターネット中継をおこなうようになった。食堂で、PCを通じて中継を視聴している人と会話しながら、食事をする。公園のベンチに腰掛けている時もPCに話しかける。
 こうした情景のあちこちに、正直なところ、私の理解を越える部分や、感性になじまない箇所があった。とはいえ、出演者たちの表情や語調は、無縁化の孤独にたじろぐばかりといった弱々しげなものではなかった。いやむしろ、自らの手で新たなネット縁を作り出し、それを生きる力にしたライフスタイルを築いていることへの自信を、そこはかとなく感じさせた。その前向きの姿勢に、私も救われた気がしたし、さらにネット縁がインターネットの世界でのつながりにとどまらず、実社会での人間関係に発展する可能性やその形態に関心を払うべきだ、と思いもした。
 ところが、番組のナレーションからは、ネットを通じた新たな結縁の萌芽を温かく育てようという意欲は、ほとんど伝わってこなかった。というより、‘現実社会でコミュニケーションをうまくとれず孤立状態におちいった人がネットの世界でのつながりに慰めを見い出している’との認識が土台にあるようで、ネット縁に対する視線の冷ややかさが気になった。副題に「新たなつながりを求めて」とうたいながら、せっかく時間をかけて報じたネット縁について、その無縁社会の修復効果を否定視しているかのような素っ気ない扱いしかされなかったのは、私には何とも不自然に感じられた。
 放送から一週間ほどして、私は、当日の番組に出演した女性がNHKの姿勢に不満をもらしていた事実をYahooニュースで知った自分には家族もあれば友人もいるので、「無縁」者のカテゴリーには入らない。それでも取材に応じたのは、インターネットが遠くにいる友人とチャットで連絡しあったり、見知らぬ人とでも生放送を通じてコミュニケーションできるという新たな縁を生み出していることを知ってもらう一助にしたかったからだ。「『ネット縁』に対して前向きに考えて出演を承諾したのに、『無縁だからネットに逃げ込んでいる』ような演出をされてしまった」との本人の弁を聞いて、そういうことだったのかと納得がいった。(「NHK『無縁社会』で過剰演出…出演者から苦情」2011/2/17、「夕刊フジ」配信、および「ガジェット通信」2/15に寄せられた「みつき@なごや」さんのコメント、参照)。
 私自身は、好むと好まざるとにかかわらず社会から疎外された生活状況になっている人間にとって、インターネットを介したつながりは社会参加の新たな手段として非常に貴重なものだと思ってきた。というより、閉鎖的な環境のもとにある自分もそのメリットを享受したいと願えばこそ、このサイトを立ち上げて維持してきたのが実情だ。もちろん、ネット社会の弊害には敏感であるべきだが、決して暗いトーンで語らなければならない話題などではないはずだ。ネット縁もまた現実の社会における人間関係の一形態であることを踏まえて、家族の解体や地域コミュニティの崩壊などによって社会的な絆がかつてなく弱まった現代生活におけるその存在意義を前向きにとらえ、発展の道を探る必要があるのではなかろうか。
 つい先日、こんな私の意識にぴったりフィットするTV番組に出会った。それが、「無縁社会〜新たなつながりを求めて〜」からわずか9日後に同じNHKスペシャル枠で放送された「ネットが革命を起こした〜アラブ・若者たちの攻防〜」だった。
 先月半ば、北アフリカのチュニジアで「ジャスミン革命」が成功し、23年間もの長きにわたって強権体制を敷いてきたベンアリ政権が倒壊した。政変はエジプトにも飛び火し、反政府デモのうねりに抗しきれず、今月になって約30年続いたムバラク政権が打倒されるに至った。どちらの国でも、物価の高騰と失業問題の深刻化による生活難に不満をいだいた民衆の抗議行動が、民主化を一気に推し進める爆発的なエネルギーとなった。かつては、厳しい国民監視体制のもとで相互の意思疎通をできない孤立状況に置かれ、圧政にひたすら耐えるしかなかったチュニジアやエジプトの人々。ところが、インターネットの発達、とりわけこの数年のフェイスブックやツイッターなどの登場によって、事情は一変する。最新のインターネット・ツールを手にしたおかげで、自由を求める人たちは、言論統制をかいくぐって連絡を取り合い、情報と認識を共有し、団結の輪を広げていくことができたのだ。
 「ネットが革命を起こした〜アラブ・若者たちの攻防〜」は、ネット縁がネット上の仮想空間での擬似的な人間関係にとどまるものではなくて、いかに体制変革に向かう人々の実社会における新たなつながりを生み出したのかを、事実の検証を通じて浮き彫りにした労作だと言える。私は、それを視聴して我が意を得たりとうなずく一方、同じNHKスペシャルなのに取材班によってインターネット観や制作意図がなぜこうも違うのか、と呆れもした。
 ネット縁に大きく依拠した民衆蜂起は、チュニジアとエジプトだけでなく、北アフリカ・中東一円に広がりつつあるし、遠く離れた中国にその波が押し寄せる可能性さえ出てきている。この現状は、現代社会の一員としての私にとってだけでなく、経済学研究者である私、とりわけ世界経済を主たる研究対象としてきた私にとっても、深い関心を呼び起こさずにはおかないものだ。なにしろ、積年の強権体制に対する各国民の憤りを先鋭化させている最大の要因は、明らかに経済的困窮の深刻化と経済格差の広がりなのだから。また、産油国の政変に伴う混乱がさしあたり原油価格を高騰させたり、長期的に見た原油需給構造の変化を引き起こすなど、世界経済に重大な影響が及ぶのはほとんど必至なのだから。          
     

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